40代になって就活をされている方へ。
今日は、過去の私のキャリアの話をしたいと思っています。
お金のための仕事
過去のことになりますが、私はとあるビジネスを通じ、約10年ほど起業していた時期がありました。
今はこの仕事からは撤退し、高齢者施設にて介護職員として働いています。
私が起業するきっかけとなったのが夫の転職でした。子供が生まれた直後、仕事上の心身の疲れが原因で安定した団体職員を退職することになり、夫の年収が半分以下になるという時期がありました。
当時、私が最初に団体職員を退職しており、フリーランスという形ですでに仕事をしておりました。しかし、夫の転職により現金収入が一気に減ることになったため、フリーランスの仕事の他にいくつかを掛け持ちして生活をしていました。
フリーランスというと聞こえはいいですが、私の場合、手に職のないフリーランスだったため、なかなかこれ1本では夫の収入を養えるだけの力はありませんでした。
そのため、複数のバイトを掛け持ちして体力的にはとてもきついしですし、当然、家事はおろそかになるし、子供と関わる時間がだんだんと減っていきました。
そんな生活の中で、ダブルワークの仕事の中にビジネスの種が落ちていました。知り合いの弁護士に相談すると起業できる内容であったため、個人事業主となりそのまま法人成りをし、一人経営という形で仕事をしておりました。
自由になりたい、子供との接点を持ちたいと、時間の融通が効く仕事で始めたものの、1日24時間しかない時間で仕事を優先せざる負えない状況が始まり、睡眠を削って仕事をこなす日々が続きました。
一時期は3〜4時間睡眠で3ヶ月過ごし、それ以外風呂と食事をする以外、18時間ほど仕事をしていた時期もありました。
幸い、実家の両親が近くに住んでおり、母も午後から出勤のパートだったことで朝の子供たちの送り出し、ご飯の支度なども手伝ってもらってなんとか仕事をする環境は整っていました。
夫も複数の会社を何個か渡り歩きましたが、最終的に融通の効くとある法人へ役員として働くことが決まり、給料は少ないけれどなんとか生活していけるところまで持ちこたえることができました。
私の仕事が優先される家庭状況であったため、仕事も順調に回り始め、子供が大学進学をする時期にはお金には困らない状態となり、第一志望の首都圏の国立大学へ進学させることができました。
ところが、会社として起業したことで大きな壁が待っていました。それが雑務です。毎月のように税理士に言われる会計業務。人任せにすることはできず、すべてを自分でやっていました。
すると、当たり前ではありますが、収入の柱となる仕事がだんだんと回らなくなっていくようになります。
請け負っていた仕事もブームが過ぎてしまったのか、メインの収入につながる仕事が徐々にできなくなっていくという状態を経験しました。
そして、人間関係でもお金のためのつながりというものもあっという間に壊れていくんですね。ひとつ歯車が壊れ始めると段々と仕事自体も回らなくなっていきました。
お金のために体が壊れていく
ここで振り返ると切ない時期があったのも事実ですが、楽しかった時期もありました。
お金さえあれば、楽ができて楽しくなるんだとばかり思っていましたが、現実は違っていました。
3人目の子供は、私が幼少期に家を空けることが多いため、私がどこかに言ってしまうのではないかという不安を常に抱えていました。学校へ行くと子供が先に家を出ますが、必ず「ママ、今日はお家にいるんだよね?お仕事はお家だよね?」こんな会話を7歳の子供がするのです。
2人目の子供は、私のいない不安からでしょうか。高校生になって不登校になり、毎日のように学校の担任から電話をもらい、成績は問題ないのですが単位が足りなくなってくると卒業が怪しいと言われるようになりました。
夫がきちんと対応してくれているとばかり思っていましたが、父親の役割と母親の役割って違うんですね。私が接してこなかった5〜6年の間に子供の心を壊してしまったのかもしれないと思うようになりました。
すると、段々と自分を攻めるようになり、収入でなんとか立て直しているのだけれど、仕事をすればするほど子供たちに迷惑がかかるかもしれないと思うようになり、ベッドから起き上がることができない日がありました。
出産し、最もかわいい時期を見逃してしまった罪悪感。ほったらかしにしてきたことへの罪悪感。仕事だけにのめり込みすぎて向き合えていなかった罪悪感。この気持ちがだんだんと増えていき、寝込む日が増えていきました。
母としても駄目、仕事も駄目、何が自分には残っているのだろう。いっそのこと楽になりたい…そんな変な考え方を常にベッドの中でしていた時期です。
でも、子供が帰ってくると変な様子は見せられませんが、それでも起き上がることができないのです。
やむなく、心療内科を受診し、いろいろなカウンセリングをしてもらった結果は「適応障害」。
きっとうつ状態が始まる前の診断名何だと思います。一時的に仕事から離れ、家族と思いっきり過ごしてみたほうがいいということで、ここで仕事から離れる決断をしました。
ただ、会社を残すことは自分が仕事をするということになるため、今持っている仕事を誰かに引き継いでもらわねばなりません。弁護士に色々と相談にのっていただき、細々と個人でやっていくという選択をし、会社を解体することにしました。
もともと内部で雇用していた方はいなかったため、外部スタッフのバイトさんには無理を言って同業者に雇用してもらうということで無事に会社を解体しました。
ちなみに、この仕事は今は個人的にもやっていません。仕事の継承は、現在、1人目の子供の夫であるお婿さんが引き継いでくれるということで、譲渡した形になっています。
生活費確保のための仕事探し
約1年ほどでしょうか。静養をし、体的にもなんとか仕事ができるまでに回復しました。
このまま家でぼーっとしているわけにもいかず、外で働いてみようか…という気分になった時期がありました。
もともと、接客業が嫌いではなく好きなほうだったので、短時間でできる仕事を見つけてはアルバイトやパート雇用という形で働きに出られるようになりました。
最終的に、サービス業で派遣されて仕事をしていたのですが、そこが意外と居心地がよく、周りの方々にも恵まれ65歳くらいまでここで仕事をしていられたらいいな…なんていうこともひとりで思っていました。
しかし、2020年2月に新型コロナウィルスが流行し、このサービス業は真っ先に仕事がなくなりました。
2020年3月にはシフトが一切なくなり、収入はゼロになりました。
40歳を過ぎてからというもの、正社員で働きたくてもなかなか思うような求人は見つかりません。
そんなとき、派遣仲間が
介護だったら今は求人もあるし正社員になれるかも…
その一言ですぐに動きました。
まずは無資格でもできる介護求人を探し、4月に重度訪問介護という仕事ができる資格を取得。5月からすぐに仕事をスタートしました。
ところが、無資格でもできるということで現場に入ったのですが、関わった利用者さんのお宅が介護関連の仕事をしているということもあり、ハードルが高かったのです。
そこで、介護職員初任者研修という研修を受け無事に資格取得。その後、資格取得先からの紹介でとある福祉会の正職員として働くことになりました。
私は運が良かったとしか言えませんが、コロナ禍で就活をして、介護職員初任者研修という1つの資格を取得し正職員になっています。
今、多くの方々が新型コロナウィルスの影響により「給料が減った!」「仕事がない!と言われていますが、介護業界は人材が全然足りていません。
介護という仕事は、障がい者の介護、高齢者の介護など、いろいろな介護の形があります。そのため、向き不向きは絶対にあるでしょう。そのため、誰でもいいと安易におすすめできる仕事ではありませんが、それでも人と関わることができる方ならば、誰でもチャレンジすることは可能だと思っています。
お金は少ないけれど充実した日々
現在、福祉会の正社員として働いていますが、何よりも楽しいですね。
人と関わっていること、人の役に立っていることの喜びって凄いモチベーションが上がるのですね。
過去にやってきた仕事は人のための仕事と言いながら、すべてはお金のためでした。
しかし、介護ってお金安いけれど気持ちが全然違うんですね。
慣れるまでには大変な思いもしましたが、今は、一通りの仕事を覚えて次のステップへ進んでいるところです。これが半年後、また違う感情となり、もっと成長できていると願いたいものです。